古代メソポタミア文化史入門 ①

前期はうっかり見るのを忘れました。後期は残り12日しかないけど全部みたい。

個人用メモです。著作権を侵害するつもりはないので写真の無断転用やパワポ丸写しはしていないです。そのため私のメモが間違っている事が多々あると思います。

歴史研究

歴史おさらい

シュメル初期王朝期:統一王朝なし、都市国家の集まり 円筒印章とかは出てるけど歴史資料がイマイチなので第一期・二期は歴史があやふや

スカーレットウェアー:彩文土器

シュメル王名表:歴代の王様(?)が書いてある

ウルクまでは60の倍数年収めている(28800年とか…)=60進法も使われていた 実在する人としない人が混ざって記載されている

ウシュム・ガル石碑:最古のクドゥル(境界石、土地の授与関係と呪詛を記載した石)

②歴史研究

神殿都市国家論

by AntonDeimei 1920年ごろにシュメール文化を研究

第三期のラガシュから出土した「ウルカギナの改革碑文」や経済・行政文書を元に神殿が耕地・家畜を所有し、人びとは神殿から配給をもらい生活するという神殿中心都市だったと考えた=テンペルシュタット

王様は神殿に仕える最高奉仕者という位置付けと考えた

→論争 ファルケンシュタインとかから支持を得る一方フォスターなどからは批判された

ウルカギナ(=ウルイニムギナが今は正しいと思われている)の改革碑文の解釈について批判 私有地や王領地が多いのでは?

例)後期ウルク「祭司王」の二面性  同じ王様が矢をいっていたり祭司していたりする

原始民主制

byヤコブセン

・前2千年期以降メソポタミアの都市は市民会が重要な役割をになっていた=そういう伝統があった?

ハンムラビ法典 「人びとは裁判官を市民会において罷免し追放しなくてはいけない」

・シュメル語作品「ギルガメッシュとアッカ」に長老会・民会が出てくる

キシュの王アッカがウルクの王様ギルガメッシュに水利事業を強制してきて困ったのでギルガメッシュはウルクの長老会や市民会に相談する。どっちも軍事対決を主張するので戦って勝利したけど可哀想だから離してあげた^^

・アッカド語神話「エマヌエリシュ」でよく神様の集会が出てくる=シュメルの名残では?

例)神々の集会を開催し、マルドゥクを主権者と認めた

→反論:シュメールよりあとの話ばっか

今でも神殿国家や原始民主政に代わる理論が完全に確立しているわけではない

最近の研究は王宮が中心では???という感じ

③後世への影響

後世に影響を与えたとわかっているものもある

・ジックラトゥ:階段上の遺跡(前3000年くらい)→→→バビロンのバベルの塔(前6世紀くらい)

・都市神を祀る神殿→国家神

アッシリアの都市神アツシュルがやがて国家神へ…

バビロンの都市神マルドゥクがやがて国家神へ…

・民会…原始民主制は証拠がないが、民会というものは後世重要な役割を果たした

例)都市国家エマル 土地売買の承認は王様、契約を破ったら市民会に払う

ダビデ王はイスラエルの長老たちとの契約に基づいて即位したby旧約聖書

まとめ

①都市ごとに都市神が祀られていて神殿が重要な役割を果たした(神殿だけが中心であるわけではない)

②前2千年期以降のメソポタミアの都市の「民会」の伝統がシュメル時代に遡る可能性は否定できない(が証拠もない)

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