最終日ギリギリに見ました。なぜ……。なぜ土日に見ないのか。。。
個人用メモです。著作権を侵害するつもりはないので写真の無断転用やパワポ丸写しはしていないです。そのため私のメモが間違っている事が多々あると思います。
始めに
マンダ教
- 現存の宗教
- 2003年の湾岸戦争までイラクとイランにいたが難民化、欧米へ移住
ユダヤ主義キリスト
- ユダヤ人のキリスト教ではない
- キリスト教も割礼を受けてユダヤ教以上のユダヤ教となるべし
マンダ教徒とその聖文書
特徴
- 17世紀〜宣教師が持ち帰り知られる、19世紀〜翻訳・研究される
- ヨハネの書、コラスター、ギンザー、ハラン・ガヴァイタが重要
- グノーシス主義=神話で教義を表現する&洗礼(沐浴)
- 天界の水=地上での流水 沐浴大事 キリスト教の洗礼は流水じゃないのでだめ
研究の歴史
- 東方起源説=洗礼はメソポタミアの習慣やシリアのキリスト教を模倣したもの? 神話の旧約聖書の人物はコーラン経由?
- 西方起源説=西方(ヨルダン川あたり)が期限 AD3世紀以前には遅くともできていた ユダヤ教への改革運動 沐浴(ヤルドナ)=ヨルダン? 一部旧約聖書からも話をとってきているが、それより前の独自の内容がある
- ドロワーさん パルチア帝国(イランの国)の時代にユダヤ教の勢力が届かない内なるハランを通ってメディアに入ったと記載がある アブラハムの旅と逆 だけどユダヤ人の迫害を受けて道なき場所に行ったとあるのでハラウニティス地方(山脈がある)が正しい?
ナザレ人?ナゾレ人?イエス
ナザレ人のイエスという言葉は本によってナザレーノス人とナゾーラエオス人という記載がある
- マルコの記載からもらってきている(ナザレーノス)のにルカはナゾーラエオスと書き換えている
- マルコの記載からもらってきているのにマタイはナゾーラエオスに書き換えている
- ルカと使徒言行録は書いている人が同じなのに記載が違う
→著者たちは地名ナザレの形容詞だと理解して文に合わせて適当に使っている?
これに対する指摘
- ラビのユダヤ教(タルムード)では異端のキリスト教徒の事を「ノーツリー/ノーツリーム」としている 元々の意味は遵守者たち
- マンダ文書のマンダ教徒の自己呼称は「ナーゾーラーヤー」(マンダーヤーもある) 語源はNSRで遵守者たち
- ナゾラエオスはNosrimの集団から登場した事を示し、キリスト教成立以後もキリスト教徒たちを表す言葉として使われた
ユダヤ教徒→マンダ教徒迫害→逃げる→メディアの山地=キリストが生まれる前??????
イエスとキリスト教徒をDisっているが呼び方が「ナーゾーラーヤー」
→つまり????どういう事だってばよ?????
- マンダ教徒の起源はイエスと同じかそれ以前、ヨルダン川あたりに展開されていた「遵守者たち」運動がベース
- 遵守の対象は儀礼と秘儀=洗礼(沐浴)?
- ウムラン教団(死海文書)ヨハネもその運動してた人たち
- 罪は沐浴・洗礼で洗い浄められる=神殿の儀礼は不要
- これはヨハネ→イエス→ユダヤ主義キリスト教へ継承された
- 福音書の著者はこの辺忘れてギリシャ語化 ナザレ人の形容詞系とごっちゃにする
ユダヤ主義キリスト教との関係
改修者パウロは地中海世界へ布教 色々手紙書いて論敵Dis
「犬」「下腹部が神聖笑(=割礼)」→ユダヤ主義キリスト教徒をDis?
イエスの弟ヤコブがエルサレムでヘッドを貼っていた、彼の信者はパウロと敵対? ヤコブ=元々ナジル人 ナジルの語源=聖別する
その後ユダヤ戦争でペレア地方のペラ町に逃げてユダヤ主義キリスト教「ナゾラ派」になる
エピファニオス(ギリシアの人)が書いた「薬籠」
ナゾラ派について記載 ペラを超えてコイレシリア地方やバサニタス地方へ拡大=マンダ教団のハウラニティス地方から結構近い 40kmくらい
エピファニオスはキリスト教徒を福音書に習って「ナゾレ派」をナザレの形容詞化とみなして使用 マンダ教徒っぽいのを「ナサラ派」と読んでユダヤ教の異端として区別、「ナゾラ派」については「ナゾラ派派ナサラ派ではなくナサラ派はキリストより前の者たちでキリストを知らない」
「ナゾラ派」派モーセ立法(割礼・安息日)を遵守・福音書派マタイ語を使用と記載
エビオン派 ナゾラ派との記載かぶりが多い=ペラ移住後発生した?
エビオン派、エールケサイ派も沐浴習慣あり、エールケサイ派から教義がきた? エールケサイ派は割礼と安息日も遵守する
→
- マンダ教徒ができてから結構立っていたので文書にいつの間にかキリストDisが入っていたのは知らなかった
- ユダヤ教の異端は正しいかも?
ペテロ談話集
- ペテロはヤコブの立場を代弁
- パウロDis
- 律法主義 割礼大事
- 神殿はだめ 洗礼が大事 洗礼とは沐浴して性交の汚れから浄化される
- よい行いに神は期待以上の喜び、それで救われる
- パウロの信仰による救いは間違い
→沐浴が罪のゆるしというより清さに関わるものへ変化=ユダヤ教徒分派の立場に近づく、立ち戻る
コーラン サバ人
ユダヤ教徒、キリスト教徒、サバ人誰であれアッラーを信仰したらハッピー…とポジティブな感じで記載されている
サバ人=バブテマス派=「メソポタミアにいたユダヤ的キリスト教の一派で水中全身洗礼が特徴、マンデ人ともいう」と訳者井筒さんが注釈しているがマンダ教徒はユダヤ的キリスト教徒ではない 、しかし
コーランの純正信仰=ユダヤ・キリスト教以前のエルサレム神殿系の贖罪を拒否し、沐浴で罪が許されるというユダヤ的キリスト教の延長にいる?
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元々キリスト教やユダヤ教の成り立ち・歴史をいまいちよくわかっていないのでみなさまご存知の…とか言われても全然わからなかったw
同じ過去を持っていて、それが長い年月を経ていろんな派に分派したけど過去は同じだから似ているところがあるし関係ないと思われているところにも引き継がれているという話であっていますでしょうか????????